2013年07月31日

【 現代のおとぎ話 】

● おどかすわけではありませんが・・・・・ 

“独居” いろいろな理由で、一人住まいをされている方が 増えていますが、何かがあった時、 “だれが、いつ、どのような形で” 駆けつけて来てくれ、家の中に入っ てくれ、見つけてくれ、助けてくれるのか。
 そのための手立てはなされているのか ━━ 考えておいた方が いいのではないでしょうか? 

● 【現代のおとぎ話】
 一人暮らしをしていた人が、亡くなった。
 一つ一つ、その人にとって大事なものに囲まれて生活していたのだけれど・・・・・ 同じく、物がいっぱいのきょうだい達にも、引き取るほどの物はない。

 結局、業者 にたのんで、いっさいを[ゴミ]として、処分してもらったとさ。

( 右近像とセミ by Ukon )
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エミール・ブルンナーの言葉

● エミール・ブルンナー(1889〜1966 スイスの神学者)

「燃えることによって火が存在するのと同じように、伝道によって教会は存在する。」

※ 私(久保田 Ukon 典彦)が、ここ日本の・大阪の・高槻の・郡家新町の・70億の人たちがいる世界人口の 99.999・・・%の人たちが、その存在さえ知らない郡家新町の地で、主なる神さまから、驚くべき恵み(Amazing Grace )をいただき、クリスチャンになっているということは ━━ まさに、奇蹟というべき出来事だと思いますよ。

 2000年前に、中近東のユダヤの地からスタートしたキリスト教が、何千キロも離れた・地球の反対側にまで、伝えられて来たということは、フランシスコ・ザビエル宣教師をはじめ、多くの心燃える・心燃やされた人たちが、人間的な利益や損得を考えてではなく、ただひたすらに、主なる神への愛と隣人(となりびと)への愛をもって、「イエス・キリストが救い主である」ことを伝え・伝道していってくれたお陰ですよネ。
 ただただ、感謝したいと思います。

 こうした、主なる神と隣人への愛に燃やされた人たちによって、神の愛・キリスト教が伝道(宣教)され、教会が生み出されていって、その結果として、私たち夫婦がおり、阿武山(あぶやま)福音自由教会が存在するのです。
 これは、やはり、奇蹟と言っていいのではないでしょうか。

※ イエス・キリストの 「大宣教命令」
「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。
 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は、罪に定められま     す。」      (マルコの福音書・16章15−16節)

( 大塚国際美術館にて by yasu )
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2013年07月30日

最近の 【 口ぐせの言葉 】

 ・ まっかせなさ〜い!  まっかせました!
 ・ じゃまくさがっては いけない。 (手をぬいては いけない)
 ・ 今すぐ行動 (あとから・いつかではなく)
   すぐやる人が好き!

 ・ 私は完璧主義者 (完璧な人間は、いないけれど)
 ・ 私は定刻主義者
 ・ こういうことは、いきおいでやってしまわないと!

 ・ 美しく食べる・美しく歩く・美しく・・・・生きる
 ・ 男も料理 男も自立  何か料理!
 ・ このことをやり終えるまでは、他のことをしない!

 ・ ライフワーク(山右近研究) 以外のことは、今で十分!
 ・ 右近専心 日々に右近を思いおり

 ・ 何かやってほしいことある? (妻に)
 ・ 私があとになって、ちゃんと介護するから安心して!

 ・ Simple Straight Spiritual
 ・ へりくだりつつ、忠実に
 ・ Hallelujah Amen Immanuel !

 ・ キリストの平安 !
 ・ 神さまと いつもいっしょ!
 ・ クリスチャンは がんばらない!
 
 ・ 生きるとは 春夏秋冬 祈ること
 ・ 内住の聖霊 (ただ「聖霊」でなく)
   父・子・聖霊 主なる神 (ただ「神」でなく)
 ・ 信じる者は 神の栄光を見る!

 ・ じぇじぇじぇ〜〜〜〜〜!

( あじさい by 描き人知らず )
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ヘルムート・ティーリケの言葉

● ヘルムート・ティーリケ(1908〜1986 ドイツ 神学者・ナチ反対運動によって大学教授を追われたが、屈せず説教と講演を続けた)

「神を知る方法は、神の御言葉に従っていく以外にはない。人生論の分析や歴史の解決によって、神の存在を証明することができない。」

※  源氏物語のことなら  紫式部にたずねよ
   シェークスピアの劇のことなら  シェークスピアにたずねよ
   バッハの音楽のことなら  バッハにたずねよ
   日蓮宗のことなら  日蓮にたずねよ
   お茶のことなら  利休にたずねよ
   ・・・・・・・・・

 他のなにかを参考にするとしても、まずは直接、当人からたずねよ。当たり前のことですよネ。

  「神のことなら  神にたずねよ」  これも、当たり前のことですよ!

 人が、限られた知恵と知識で書いた書物を熟読したり、考古学や歴史をいかに学習していっても、全知・全能の神を知ることは出来ません。

 自然も神の存在を語り、人が創造された時に与えられた良心も、神の義を示し続けていますが、罪(原罪)を受け入れてしまった人間の心では、神を知ることは出来ません。
 心がきよく、罪に汚されていない状態でなければ、きよいきよいお方である主なる神を、心の目で見ることは出来ないのです。

 では、「神のことなら 神にたずねよ」と言っても、どうやって、神にたずねたらいいの? わかりませんよネ!?
 そうなんです。もし、神がおられるのでしたら・存在されるのでしたら、神さまの側から、わかるように、道を作ってくださらなければ、私たちは永久に、神を知ることなど出来ませんし、私たちの罪の心は、知りたいとも思わないことでしょう。

 そこで、神さまの方から、私たち人間に与えられたのが、神のことば 「聖書」 です。
 聖書は、神さまから、私(たち)に与えられたラブレター・愛の手紙です。

 聖書・全66巻(旧約39巻・新約27巻)は、聖霊なる神によって心動かされた人たち(モーセ・ダビデ・マタイ・パウロ・・・といった人たち)が、神の霊感(息吹き)を特別に与えられて、記していった、主なる神のことばです。

 聖書は、私たちに、「神がどのようなお方か」 「天地万物は、どのようにして出来たのか」 「どうして、罪や悪や死が存在するのか」 「どうして、自然災害が起きるようになったのか」 「人は何のために生きるのか」 「人は死んだらどうなるのか。天国はあるのか」・・・・・等々々。

 どんな人たちにたずねても・どんなに学校などで学んでも、まともな答えが得られないすべてのことに対して、明確な答えを与えてくれるものが、神のことばである 「聖書」 です。

「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊・関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」
                  (ヘブル人への手紙・4章12節)

( 大塚国際美術館にて by yasu )
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2013年07月29日

夏は 「冷ラーメン 」

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 これは、私の今日のお昼ごはん・「冷ラーメン」です。
 いろいろ、具だくさんで、おいしそうでしょう? 
 いかフライ・納豆・トッポギ・キャベツ・白ゴマをたっぷり・・・・・など。隠し味で、「トムヤンクンスープの素」がひとさじ入っています。

 今では、夫婦二人暮らしなので、昼ごはんは、自分で自分のものを、それぞれ準備し、いただくことにしています。

 ふだんは、インスタントラーメンを安く買っておいて、それを素材にして、いろいろ工夫し、おいしくいただくことが多いですが、夏は暑いですから、汗をかきかき食べなくてはなりません。
 それで、夏場の定番は「冷ラーメン」です。

@ 400cc の水にトッポギ(又はトック)を入れ、沸騰させる。
A ラーメン(インスタント)とキャベツを加え、3分間ゆでて、カゴにあけて、湯切りをする。
B まだ熱さが残っている鍋に水(500cc)を入れ、トムヤンクンスープの素(少量)・付属のラーメンスープの素を加えて、溶かす。(熱は加えない。)

C ラーメン鉢にBのスープを入れ、カゴにあけておいたラーメン・キャベツを加える。
D 納豆をまん中に入れ(かきまぜない)、白ゴマを多めにふりかけ、いかの姿フライをのせて軽く沈ませたら、出来上がり。
                           おいしいですよ〜〜〜〜〜〜!

 ※ 野菜も・その他の具も、冷蔵庫にあるものを、いろいろ使って、日替わりの味を楽しん     でください。
 ※ 男性も、自分の昼ごはんぐらい、自分で作りましょう!

アウグスティヌスの言葉

● アウグスティヌス(354〜430 北アフリカのタガステ:現アルジェリア 古代キリスト教教父)

「神よ、あなたは私たちを、あなたに向けて造られたので、私の心は、あなたのもとに憩うまで、安らぎを覚えることがありません。」

※ 天地万物を創造された主なる神は、私たち人間を、先に造られたすべてのものを管理するようにと、天地創造の最後に、神ご自身のかたちに似せて創造されました。

 人間は、偶然の結果として存在しているものではありません。進化によって今にたどりついたというものでもありません。
 天地創造された主なる神から、はっきりと、働きと使命を与えられて創造されたのです。

 すべての神の被造物と共に、神の愛の内に生かされ・喜び・ほめたたえ・感謝しながら、与えられたいのちを楽しみながら、生きていくようにと造られたのです。
 創造主である神あっての私たちですし、神が人と共にいてくださって、園(パラダイス)で、全被造物と共に、いつまでも、幸せしかない生活をしていくはず・・・・・でした。

 しかし、私たちの内に罪(原罪)が入ってきてしまい、私たちの心は、主なる神から離れてしまいました。罪・悪を知り・受け入れ・愛する者になってしまい、創造主である神を信じたくない・認めたくない者になってしまいました。

 ━━ とは言っても、主なる神が、私たち人間を、もともと、神の方に向いて生きる者として創造されたという事実は、変わりがありませんから、私たちが、何か他のもので私たちの心を満たそうと思っても、替え玉では、代用がききません。

 私たちの心は、私たちを創造され・今もいのちを与え・愛し・導いておられる主なる神のもとに立ち返って憩うまでは、魂の安らぎ・平安を経験することが出来ないんですよ。

( 大塚国際美術館にて by yasu )
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2013年07月28日

【 天地創造 】 (10 ・ 終 ) 第七日目の創造

〈人間の創造〉をもって、天と地とそのすべての万象が完成されました。

 しかし、天地創造は、六日間の創造の御業(みわざ)で終わったのではありません。

 七日目。
「神は、第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。」 聖なる日の創造です。
 安息日として、霊肉を休息させ、天地の造り主(つくりぬし)・主なる神を礼拝するのです。

 以上、これが、天と地が創造されたときの経緯ですが、その同じ主の御手によって、私をも、創造してくださったのです。

「主よ。あなたは私の内蔵を造り、母の胎のうちで、私を組み立てられました。私は感謝します。あなたは、私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。
 私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みは、あなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、一日もないうちに。」

 ―― 主なる神は言われます。
 「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」  ハレルヤ!

 お祈りをいたしましょう。

( 大和なでしこ by 描き人知らず )
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ブレーズ・パスカルの言葉

● ブレーズ・パスカル(1623〜1662 フランス 数学者・物理学者・哲学者・思想家・宗教家)

「人間は、一本の葦にすぎない。自然のうちで最も、ひ弱い葦にすぎない。しかし、それは考える葦である。」

※ あの葦が、「ひ弱い」植物である。しかも、「自然のうちで最も」ひ弱い植物である ━━ というのは、違和感がある。

 高槻の「鵜殿」(うどの)は、淀川の河川敷に多くの葦が生えている名所だし、近くの女瀬川(にょぜがわ)に生えている葦も、高さが3mはあるかな? しっかり・まっすぐに、天に向かって伸びていて、生命力・繁殖力を感じるほどである。

 人間も又、主なる神による被造物の中で、「最もひ弱い」というのとは、ちょっと違うよなあ。
 主なる神が、人を創造された時にも、
「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」と言われて、そのつとめを与えられたのでした。

 人間も葦も、聖書的に言えば、「自然のうちで最もひ弱い」ものでは、ないかもしれないけれど、「しかし、それは考える葦である。」というのは、その通りではないかな。
「考える」ことは大切です。「考えてから行動する」ということは大切です。

 考えないで行動してしまい、聖書中の偉大な信仰者・モーセもアブラハムもダビデも、大失敗をいたしました。

・モーセは、考えないで、腹を立てて、神の示された方法ではなく、感情にまかせて、杖で、岩を2度も打ちたたいて、水を出しました。

・アブラハムは、考えたことは考えたんだけれど、妻のサラのことを「私の妹です」と言って、ごまかすことを考え、それも2回も、善意の人たちに多大な迷惑をかけました。

・ダビデ王は、部下のウリヤの妻バテシバと、姦淫の罪を犯し、彼も考えたことは考えたんだけれど、自分の罪をどのようにごまかすか・ウリヤをどのようにして、死に追いやるか ━━ ということを懸命に考え、それを実行したのでした。

 このように考えてきますと、「考える葦」であることは大切ですが、考えるだけではダメで、どのように考えるのかが重要ですよネ。

 内住(ないじゅう)している罪(原罪)の心で、いろいろ考えても、自分勝手な・都合のいい答えしか出てきません。
 あなたの罪の心を、きよめていただいて、きよい神の霊(聖霊なる神)に内住していただいて、その聖霊に導いていただいて・教えていただいて・知恵を与えていただいて・・・・・考えていくのです。

 ただ「考える葦」ではなくて、「きよい心で考える葦」というのでなくっちゃ!!

( 大塚国際美術館にて by yasu )
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2013年07月27日

【 天地創造 】 (9) 第六日目・人間の創造

 いっさいの準備が終わった所で、主なる神は〈人間の創造〉にとりかかられます。

 神は仰せられました。「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして、彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」

 神は、人間を創造するに当たって、他の被造物を造る時よりも、より念入りに計画を練って創造されました。人間は、神によって造られた存在というだけでなく、「神のかたち」に創造された存在なのです。

 神である主は、土地のちり(アダーマー)で人(アーダーム)を形造り、その鼻にいのちの息を吹きこまれました。こうして、人は、生きたもの・生きた霊となりました。

 神が、ご自分のかたちにかたどって造られた人間は、きよく、正しく、美しい、最も見事な被造物でした。
 男性であったアダムの「ふさわしい助け手」として、アダムのあばら骨から、女性・「生きた者の母」という意味のエバが創造されました。
 男性と女性とは、もともとは、ひとりだったのです。

 男女はそれぞれ、「ふさわしい助け手」として、他を必要とする存在です。夫婦としては勿論のこと、いろんなソシキ、そして教会においてもそうです。
 ふさわしい助け手というのは、自分にかわってやってもらう「助手」ということではなくて、互いに、男だけではできないこと、女だけではできないことを、助け合い、補い合っていく、そういう意味の「助け手」であるということです。

〈人間の創造〉をもって、天と地とそのすべての万象が完成されました。

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ジャン・カルヴァンの言葉

● ジャン・カルヴァン(1509〜1564 スイスの宗教改革者)

「空や大地の一切の被造物が、神の摂理によって、治められるばかりではない。神は、人間の計画や意志をも、自身の定めた目標に向かうように支配する。」

※ 空や大地の一切の被造物は、神の摂理によって、神の深遠な思い・知恵・力などによって創造されていきました。
 今、このブログの【天地創造】シリーズにおいて、その様子を紹介させていただいています。

 勿論、主なる神は、天地万物を完璧・完全に創造されただけではありません。ご自身の栄光あるわざとして造られたのですから、その後も、すべてのことに、まちがいがないように・くるいがないように、メンテナンスをきっちりされています。

 ですから、私たちが、野の花一つ・空の鳥一羽・私たちの体の一部分でさえ、ていねいに・きっちりと見ていけば、これらのものが、偶然に出来たり・進化の結果であったりなどというような、いい加減な考え方では説明しようがないことに、気づかれるはずです。
きっちり見れば・・・・・ですが。
(いや、説明できるよ、とおっしゃる方は、是非、いい加減なごまかしなしの説明を、聞かせてください。よろしくお願いします。)

 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められることなのです。

 しかし、です。主なる神の完璧な、天地創造のわざに、「水をさす」出来事が起こってしまいました。
 天地創造の最後に、神のかたちに似せて、特別に創造された最初の人間(アダムとエバ・イヴ)が、神に敵対するサタン(悪魔)の巧妙な誘惑に負けて、エダンの園の中央にあって、神から、「絶対に食べてはいけないよ」と言われていた「善悪の知識の木」の実を、とって食べてしまったのです。

 さあ、私たちの先祖中の先祖は、大変なことをしでかしてくれました。
 その魂を、神に敵対するサタン(悪魔)に売り渡してしまい、神に対して罪(原罪)を犯してしまい、「悪を知る者・悪を受け入れる者・悪を愛する者」となってしまいました。
そして、その DNA が、現在を生きる私たちにまで、受け継がれてしまうことになったのです。
 
 私たち人間の中に、罪・悪・汚れ・のろい・死が入ってきてしまったばかりではありません。
 人間の集合体である、この世界も同じく、罪・悪・汚れ・のろい・死の世界になってしまいました。

 そればかりではありません。天地創造の時には完璧だった、自然そのものも、秩序を破壊され、共に苦しむものとなってしまいました。
 天地創造の時には、地震・津波・台風・竜巻・洪水・飢饉・・・・・ といった、自然災害といわれ、われらを苦しめているようなことは、何もなかったのですから。

 このようにして、主なる神が天地万物を創造されましたが、今の世界全体は、サタン(悪魔)の支配下にあるのです。 (ヨハネの手紙 第一・5章19節)

 しかし、これらのことは、いつまでもそうなのではありません。一時的です。
 世の終わりである「最後の審判」の時には、サタン(悪魔)・彼に組したすべての者たち・神を神として信じ認めない者たちすべては、さばきを受けて、永遠の死へと投げ込まれてしまいます。

 サタンも又、かつての、神の被造物であって、主なる神の御手(みて)の内にあるのです。
 私たちは、すべて、サタンでさえ・悪しき者たちでさえ、神の中に生き・動き・存在しているのです。

 天地創造をされた主なる神は、その計画が大きく変わってしまったことは確かですが、今も、神の深い摂理によって、被造物を治めておられます。
 私たち一人一人に対しても、そうです。
 尚、愛し・導き・恵み・祝福を与えておってくださいます。

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて、志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」   (ピリピ人への手紙・2章13節)

 私たちが、きっちりと、主なる神を見上げ・信頼していくなら、私たちになすべきことを示し、志を立てさせ、それを実現に至らせてくださるというのです。
 私一人で、さびしくやっていくのではありません。「神さまが、いつもいっしょ」に働いてくださって、神さまと二人三脚で、実現させていってくださるというのですよ!

( 大阪万博公園にて by yasu )
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