2013年09月30日

【 夢の コンサート 】 (3)

●  夢の ヴァイオリン コンサート

 ※ すばらしい演奏を、You Tube で お楽しみください。

 @ オイストラフ  ベートーヴェン 「V ソナタ No.5」より
   http://www.youtube.com/watch?v=aRGPQ8i-RQU

 A 五嶋みどり  サラサーテ 「Zapateado」
   http://www.youtube.com/watch?v=DUUcWKtoALY&feature=related

 B ヒラリー・ハーン  モーツアルト 「ヴァイオリン ソナタ」
   http://www.youtube.com/watch?v=x7xPIyePmNk&feature=fvwrel
                ダンス ソロ
   http://www.youtube.com/watch?v=JhZlA8pPy90&feature=related

 C イツァーク・パールマン  「シンドラーのリスト」
   http://www.youtube.com/watch?v=iPRkZxlBAqI

 D アンドレ・リュウ   Andre Rieu 「My Way」
   http://www.youtube.com/watch?v=d1yfX6VnrSU

 ( ヒラリー ・ ハーン  Hilary Hahn )
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カール・ルイスの言葉

● カール・ルイス(1961〜  米国 陸上選手)

「オリンピック・メダルの喜びも、イエス様との信頼関係の前には色褪(あ)せる。陸上の記録などは、すべての地上の出来事と同じように、消え去るものだ。
 しかし、イエス様との関係は消滅しない。」

※ 「カール・ルイス」と言っても、今の若い人たちには、誰のことだかよくわからないのかな?
 それほどに、カール・ルイスのような、世の栄光をいっぱいに浴びていたほどの人でも、時間とともに、色あせていき・忘れられていき・消え去っていき・消滅していってしまいます。

 まだ生存している間であってもそうなのですから、死んでしまったら・・・・・
「そんな人がいたの?」 「そういえば、そういうこともあったなあ? ・・・・・ それで、それがどうかしたん?」 ━━ ということにさえ、なってしまいます。

 カール・ルイスさんのために、彼の栄光の成績を紹介しておきましょう。

・ 身長 188cm ・ 体重 88kg
・ 10の オリンピック メダル (うち9つが金メダル)
・ 10の 世界陸上競技選手権 メダル (うち8つが金メダル)
・ 1984年の、ロサンゼルス・オリンピックでは、
  100m ・ 200m ・ 走幅跳 ・ 400mリレー の4種目で、金メダルを獲得しました。

・ 1991年の、世界陸上 ・ 東京大会では、100mで、当時の世界記録 9秒86をマークして優勝し、人類で初めて、100mを9秒8台で走った人となりました。
・ 夏冬を通じてのオリンピックで、「走幅跳」で、4連覇を成し遂げています。
 (1984 ロサンゼルス ・ 1988 ソウル ・ 1992 バルセロナ ・ 1996 アトランタ)

 これほどの、栄光ある成績を残した、カール・ルイスさんの言った言葉ですから、重みが違います。
「オリンピック・メダルの喜びも 記録も、イエス様との信頼関係の前には、色あせる・・・・・消え去る・・・・・消滅する」

 この地上で、どれだけの栄光のメダルを獲得しても、それらは、人の評価・この世の評価ですから、天国には、それらのメダルは持っていけません。
 というより、神の評価・天国での評価は、この世の・人の評価とは規準が違いますから、何の役にも立ちませんし、有害とまでは言わないとしても、無益です。
 天国では、私たちは、この世とは別の規準で、別の冠 「いのちの冠」 をいただくのです。

 カール・ルイスさんも、そのことは、よくわかっておられますから、オリンピックや世界陸上でもらったメダルも喜びだった! すばらしい!! しかし、主イエス・キリストとの信頼関係の中で、キリストを信じ・天国に迎え入れられ・天国でいただく栄冠は、それ以上だ!!! ━━ と言っておられるわけですよネ。

 色あせませんし、消えていきませんし、消滅してしまいませんし、永遠に続いていきます。

 天国でいただく 「神の栄冠」 「朽ちない冠」 「義の冠」 「栄光の冠」 「いのちの冠」 ━━ と呼ばれていますよ!

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2013年09月29日

【 「あまちゃん」 名せりふ集 】

● 毎日、楽しみに、夫婦で見ておりました NHK 朝ドラの 「あまちゃん」 が、
  2013.9.28(土)で、終わってしまいました!

 「あまちゃん」には、名せりふ が、あちこちに、キラキラ きらめいておりましたよネ。


● 好きじゃないことや向いてないことを避けて生きていけるほど、今の世の中甘くないと思うよ。理想を掲げてそれを実現できる人間なんて一握りだ。それができなくて苦しんでる。
 人生は長い、道に迷ってもいい。どこかで誰かを拾うかもしれない。着いた場所が目的地だよ。 (黒川政宗)

● どんないい原石もよ、磨かねがったら宝石にはなんねえ。 (小田勉)

● 誰のせいでもねんだ、アキ。
 自然のいいところばかり利用して、自然の怖えとこ目背けて、そのうち忘れてまう。
 それが人間の傲慢さだ。 (天野 夏)

● 正直わかんねかった。おらにできること、やるべきことって何だべって、ずっと考えてた。
 東京でテレビ見てたら、あまりに問題が山積みで、何万人のデモ行進とか、何百万トンの瓦礫とか、正直おら一人じゃどうにもなんねえって気になっちまう。
 東京さいたら、いいことが耳に入ってこねぇんだ。 (天野アキ)

● 普通にかわいいって何よ? 普通にかわいいって言われて喜ぶ親がいると思う?
 親はね、異常にかわいいと思ってんのよ! (天野春子)

● 昔も今も、地味で暗くて、向上心も協調性も存在感も個性も華もない、パッとしない子だけど、だけど、みーんなに好かれたね。こっちに来て、みんなに好かれた。
 あんたじゃなくて、みんなが変わったんだよ。自信持ちなさい! それはね、案外凄いことなんだからね! (天野春子)

● (地元アイドルは)キャンプ場で食うカレーみたいな物だと思うんだ。
 わざわざキャンプ場に行って釜で御飯炊いてみんなで協力してカレーを作る。その行為に興奮する訳だよ。苦労して作ったから美味い…。
  だからさ、東京行っちゃ駄目なんだよ!キャンプ場のカレーはキャンプ場で食わなきゃ駄目なんだよ。 (足立 功)

● いつもアキちゃんのまわりには自然と人が集まってきて、みんな自然と笑顔になるだろ。それって才能っていうか、ホントの意味でアイドルとしての資質があるってことだと思うんだ。
 アイドルって、自分でなったり、宣言したりするものじゃなくて、まわりに集まってる人間がアイドルにしていくんじゃないかな。
 アキちゃんと一緒にいると、誰でも笑顔になれる。だから、アキちゃんのまわりには自然と人が集まってくるんだよ。それって、アイドルの基本じゃん。 (水口琢磨)

 ( あまちゃん  能年玲奈 ・ のうねん れな )
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ラビ・ゼカリアスの言葉

● ラビ・ゼカリアス(1946〜  哲学者・弁証論者・伝道者)

「神は光。光に向かって歩くなら、影は常に、あなたの後からついてくるでしょう。
 その時こそ人の心は、喜びつつこのように歌うのです。
『私の生きている限りは、必ず、恵みといつくしみとが伴うでしょう。』 」

※ 主なる神は光です。神のうちには、暗いところが少しもありません。
 主なる神は、私たちが近づくことも出来ない光の中に住んでおられ、地上に住んでいる私たち・罪に汚れきった人間が、だれひとり見たことのない、いえ、見ることの出来ないお方です。

 そのような光輝く、天の御国(みくに)から、すべての人を照らすまことの光であられるお方・ひとり子なる神が、罪と悪に汚れきったこの世に、「救い主」として来てくださいました。
 聖霊なる神によって宿り、処女マリヤを母として誕生してくださったイエス・キリストです。

「わたし(イエス・キリスト)は、世の光です。
 わたしに従う者は、決して、やみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
                            (ヨハネ福音書 8:12)

 罪の世にあって・もがきながら、暗闇の中を・迷いながら、手さぐりで歩んでいた私たちを、暗闇から、ご自分の驚くべき光の中に招き入れてくださいました。
 私たちは、今では、夜や暗闇の者ではありません。私たちはみな、光の子どもです。光であられる神の子どもです。
 光の子どもとなるために、世の光であられる、イエス・キリストを信じました。

 そして、今度は、私たちが、光の子どもらしく、人々の間で、世の光として輝いていくのです。
 私たちは、世界の光です。私たちの光を、人々の前で輝かせ、人々が私たちの良い行いを見て、天におられる、私たちの父をあがめるようにしていくのです。

 神は光です。神が光の中におられるように、私たちも、光の中を、光に向かって歩んでいくなら、私たちの後に、影が出来て、私たちの後からついてきます。
 私がゆっくり歩めば、影もゆっくり歩みます。私が走れば、影も同じように走って、私の後からついてきます。
 
 光に向かって歩くなら、影は常に私の後からついてくるのです。
 もういいから・・・・・ と言っても、ついてきます。
 ちょうど、「詩篇23篇」で、詩人は喜びつつ、次のように歌っていますよ。

「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
 私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」


 私が、いつくしみと恵みを、つかまえようとして、追いかけるのではありません。
 いつくしみも恵みも、神からのプレゼントです。
 いつくしみと恵みにあふれておられる神から、与えていただくものです。

 私たちがすべきことは、光の方を向くだけです。そうすれば、影が常に、私たちの後からついてくるのです。
 いつくしみと恵みにあふれておられる神の方を向いて歩くなら、いつくしみと恵みとが、私たちを追ってくるのです。
 もう十分だから ━━ と言っても、私の生きている限りは、必ず、神から恵みといつくしみとが伴ってくるのです。

( 大阪海遊館にて by yasu )
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2013年09月28日

【 フレンド整骨院 ・ 渡部院長の ひとこと 】 (12)

● 【 スポーツ 外傷 】 (2)  治療の方法を 間違っていませんか ?

 治療の基本は、人間が本来持っている自然治癒力を、最大限に発揮させることにあります。
 それに加えて、傷が治癒する過程で、いかに機能を回復させるかが、治療の最重要点となります。ですから、治療の早い段階から、機能を回復させる手技が必要となります。

 傷を再び痛まないようにしながら、機能を回復させるという、微妙なバランスが必要となります。
 機能回復を急ぎ過ぎれば、傷はなかなか治癒しません。
 しかし、傷の治癒を優先させると、機能の回復が遅れます。

 筋肉の力は、すぐにおとろえます。
 3週間、寝たきりで歩行しなければ、歩き方がぎこちなくなりますし、人によれば、歩き方を忘れます。

 関節は、1か月動かさなければ、固まって来ます。
 関節は、最高4週間を目安として動かします。6週間動かさないと、完全に固まります。
 固まった関節を元にもどすのは、たいへんです。時間も労力もかかりますし、痛みも伴います。 従って、固定したとしても、最高4週間で動かし、再び固定します。

 治療とは、単に痛みをとるためではなくて、元の状態・機能回復が、100%に近い状態にすることが重要です。

 それから、1か所 傷をすれば、その部分を使用しませんので、人間は、他の部分で代償行動を取ります。その代償行動を取る部分に、普段の2倍の負担がかかります。
 簡単に言えば、左足の一部に傷をすれば、右足に負担がかかります。それによって、身体の使い方が変化しますので、必ず身体のバランスがくずれます。

 それが、身体の「ゆがみ」として表われますし、傷が治癒したとしても、頭の中には、傷をした部分を記憶していますので、傷以前と同様に、なかなか傷をした部分を使用しません。
 それが、身体の「ゆがみ」として定着しますので、その「ゆがみ」を取る治療も、機能回復と同時にしていかなければなりません。

 ━━ 要約すれば、
 治療とは、 @ 傷の治癒
         A 機能の回復
        B 全身のバランスをとって「ゆがみ」を取る

 この3点を、同時進行していくことです。

                       → 今回はここまで。 まだまだ続きます!

( 「あまちゃん」 最終回 ありがとう ! )
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ニュッサのグレゴリオスの言葉

● ニュッサのグレゴリオス(335〜394 神学者)

「キリストによって、人間が救われるということは、どういうことなのか。
 それは、人間が神とともに働き、そして、最初の人間アダムの堕罪以前の状態・すなわち恩寵に満たされ、何らの不足も不満も不安もない、そして、神とともに、あたかもその友となって暮らしていた状態・神の友となるという状態への回帰です。
 まさに、神の友である以上、もはやこの世の何者をも、その心の主とする必要もない。従って、だれの手下でもないということです。
 それゆえ、本当に自主的であるという状態です。」

※ もしも、アダムとエバが、原罪を犯していなかったならば ━━

 聖書によりますと、主なる神による「人間創造」の以前に、悪が存在していました。
 目に見えるものの創造の以前に、目に見えないもの・天使たちの創造がなされていましたよ。
 彼らは、知恵に満ち・美しく・完全なものとして創造され、創造主であられる主なる神に仕え、神の栄光をあらわしていく働きについていたのでした。
 そして、彼ら・天使たちの存在と働きは、一部の天使たちに罪が見い出されるまでは、完全でした。

 今や「悪魔」(サタン)と言われる、力ある天使を頭(かしら)とする天使集団が、心を高ぶらせ、自分を神のようにみなし、星々のはるか上に、「自分たちの王座を設けて、いと高き方のようになろう! 私は神だ!」と言い出したのでした。

 彼らは、主なる神のさばきを受け、天から落とされてしまいますが、最後の審判の日までは、この地上・この世界が、一時的な悪魔(サタン)と悪霊たちの活動の場になっています。
 最初に造られた人間・アダムとエバが置かれた「エデンの園」は、地上にありましたから、主なる神から、いかにして人間を引き離そうかと、悪魔(サタン)が誘惑の手を伸ばしてきたのです。
 勿論、悪魔は、全能の神の相手ではありませんから、アダムとエバが、主なる神にしっかりと結びついている限り、悪魔には、どうすることも出来ません。

 以上のことが、「エデンの園」に、不可思議とも思える「善悪の知識の木」があえて植えられていて、主なる神から、
「あなたは、園のどの木からでも、思いのまま食べてよい。
 しかし、善悪の知識の木からは、取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」 ━━ と警告された理由です。

 結果は、蛇をあやつって、しかけてきた悪魔の巧妙な誘惑に無防備になり、おいしそうだし・キレイだし・いろんなことを知って賢くなれそうだし・・・・・ 主なる神の命令に反してその実を取って、夫婦して食べ、「悪を知る者・悪を経験する者・悪を愛する者」 となってしまったのです!!
 そして、神の警告通り、永遠のいのちをもって生きる者として創造されたのに、「必ず死ぬ者・罪悪に対するさばきを受ける者」 となってしまったのでした。
 (「原罪」と言われます。)

 創造時点では、祝福いっぱいだった人間や自然界でしたのに、事態は一変してしまいました。

 女性にとって喜びだった出産は、うめきと苦しみの内に、子を産まなければならなくなりました。そして、対等だった夫と妻の関係が、夫が支配する関係になってしまいました。

 土地や自然は、人の原罪のゆえに、のろわれたものとなってしまいました。
 労働は苦しみとなり、必要な食べ物や収入を確保するために、汗を流し、苦しみながら、働かなければならなくなりました。
 そして、ついには、死とさばきが待っている者となってしまったのです。

 自然界も、創造時の姿が損なわれ、創造時点には考えられなかった、地震・津波・台風・洪水・竜巻・病虫害・弱肉強食・干ばつ・・・・・ 等々、人間の原罪のゆえに、被造物全体が、今に至るまで ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。

 私たち人間も、原罪のゆえに、大変なことになってしまいました。
 罪と悪を知り・受け入れ・愛する者となってしまった結果、罪(原罪)が、私たちに内住するものとなり、不品行・汚れ・好色・偶像礼拝・魔術・敵意・争い・そねみ・憤り・党派心・分裂・分派・ねたみ・酩酊・遊興・そういった類のものが、社会にも・個人にも影響を与え、支配するものとなってしまいました。

 キリストによって人間が救われるということは、どういうことなのでしょうか。

 それは、私たちが、主なる神による人間創造の、原罪を犯す以前の祝福に満たされていた状態に回帰することです。
 主なる神の恵み(Grace)に満たされ、何らの不足も・不満も・不安もなかったのです。
 神に似せて・神のかたちに造られた者として、主なる神とは、あたかも親しい友だちであるかのような、親密な関係だったのです。
 本当に、心の自由・魂の自由を楽しむような、すばらしい状態だったのです。

 キリストによって、私たちが救われる ━━ ということは、
このような、人間創造の本来の姿・祝福に満たされている状態に、回帰することなんですよ。

( 大阪海遊館にて by yasu )
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リチャード・バクスターの言葉

● リチャード・バクスター(1615〜1691 英国 牧師)

「私は、もう二度と語ることがないつもりで説教した。死んで行く者が、死につつある人たちに語るように。」

※ 茶道に由来する言葉で、 「一期一会」 (いちごいちえ)という言葉を、思い起こします。
 この言葉の意味は、
「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ない・たった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高の おもてなし をしましょう。」
━━ ということです。

 私たちが時々刻々、経験していることは、人との出会いだけではなく、身近な自然の景色との出会いにしても、同じ出会いが、そのままにくり返されることは、ありえないことです。

 朝焼けが美しかった! 写真に撮っておいた。 ━━ としても、同じ朝焼けに、二度と出会うことはありません。
 朝焼けの景色には、これから何回も出会うでしょうけれど、あの時の・あの朝焼けは、あの時一回きりの出会いだったのです。
「一期一会」の出会いだったのです。たった一度きりの、貴重な時だったのです。

 そのように考えますと、いろんな出会い・特に人との出会いの時を、大切にしていきたいですね。
 二度と同じ形では、巡ってくることのない時間であり、出会いです。
 このひとときの時間・出会いを大切にして、今出来る最高の交わりの時にしたいですね。

「又、いつかネ!」と言って、この貴重な時をのがしてしまえば、明日も生きているという保障のない私たちの生命です。相手にとっても、同様です。
 私自身のことは、後からでも出来ますが、相手とすごす時間は、同じ形では、二度と巡ってきません。
 大事にしないといけないのは、まさに、「今でしょ!」
 聖書にも、 「今は恵みの時!」 ━━ とありますよ。

 そして、地上での死を前にした者が語り遺していく「遺言」は、感動的です。
 語る者も聞く者も、真剣です。語る方も真剣ですが、聞く方も真剣に聞いています。

 山右近 が、信仰ゆえにマニラに追放され、50日ほどして熱病にかかり、召されていきますが、妻・ジュスタや娘・ルチア、5人の孫たちに語った 「遺言」 は、感動的ですよ。
 紹介しておきましょう。

「泣いてはいけない。お前たちにとって、私が必要だとでも思っているのか。考え違いに気づきなさい。お前たちの身の上は、神がお引き受け下さるのだ。
 今まであったことを考えてみなさい。私たちは苦しむために外国へ来たと思っていたのに、自分たちの祖国より良い所にいて、自分たちの生まれた所よりも恵まれ、愛され、栄誉を与えられているではないか。
 これは神の御業(みわざ)であり、これは決して無くなることはなく、私の召された後も、かえって増していくだろう。
 お前たちは、りっぱなキリシタンになって、聖なる教会やその教役者(きょうえきしゃ)であるパードレ方の教えに従順でありなさい。
 もしこのことに背くならば、勘当し、子や孫、あるいは親族とは認めない。」

 私たちは、もう二度と語り合うことがないつもりで、一期一会の時をすごし、自分は、明日には召されて、この世にはいなくなっているつもりで、貴重な語り合いの時・交わりの時を、もっていきたいですネ。

( 大阪海遊館にて by yasu )
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2013年09月26日

【 夢の コンサート 】 (2)

●  夢の 野鳥 コンサート

※ 野鳥の姿や鳴き声を記録するのは、なかなか大変なことですよネ。
  すばらしい映像を、You Tube でお楽しみください。

@ ウグイス  http://www.youtube.com/watch?v=FhXfQrKvokU

A ホオジロ  
http://www.youtube.com/watch?feature=fvwp&v=HUggQK_UCLU&NR=1

B ヤマガラ  http://www.youtube.com/watch?v=0lkBWvGm_HQ

C キビタキ  http://www.youtube.com/watch?v=tQjYtfK6dOs

D コゲラ   http://www.youtube.com/watch?v=nKknRPRbrUc

E コルリ  http://www.youtube.com/watch?v=WMvFE_7Y3lg&feature=player_detailpage

F メジロ    http://www.youtube.com/watch?v=x0WnhlZmxNY

G ミソサザイ  http://www.youtube.com/watch?v=9R6fjshhqdY

H ホトトギス  http://www.youtube.com/watch?v=Zm9-TaWCWRM

I シジュウカラ  http://www.youtube.com/watch?v=n54w6CzWCdo

J ヒヨドリ    http://www.youtube.com/watch?v=QUaVuemNgvk

K カワセミ   http://www.youtube.com/watch?v=FmX4vEH7qL4

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posted by ukon3 at 23:13| Comment(0) | 花鳥風月 いろいろ

三浦綾子の 言葉

● 三浦綾子(1922〜1999 作家)

「言葉を交わすことによって、私たちは、勇気づけられ、慰められ、喜びを与えられます。
と、同時に、人を傷つけ、見下すという愚かな過失も犯します。
 言葉は、人間の運命をも変えるほどの大きなものです。」

※ こういうことは、あってはならないことですが、私たちの口から、人を勇気づけ・慰め・喜びを与えるような言葉が出て来るだけでなく、同じ口から、人を傷つけ・見下すという恥ずべき、悪い言葉も出て来て、愚かにも、罪を犯してしまいます。
 賛美の言葉と、のろいの言葉が、同じ口から出て来ているのです。このようなことは、あってはならないことです。

 気をつけて、言葉で失敗をしないように ━━ ということではありません。
 悪い言葉を、いっさい口から出さないようにしましょう。ただ、必要な時、人の徳を養うのに役立つ言葉を話して、聞く人に恵みを与えるように、心がけるようにしましょう ━━ ということでは、ありませんよね。

 そんなことをいくら注意していたとしても、そんなことで、言葉で失敗をしない人がいなくなるわけではありません。

 なぜかと言いますと、言葉というものは、心に満ちていることを、口が話すものだからです。
 口から出るものは、私たちの心から出て来ます。
 私たちの内に、よきものが満ちていれば、人の徳を養うのに役立つ、聞く人に恵みを与えるような言葉が出て来ます。
 私たちの言葉は、いつも親切で、塩味のきいたものとなっていきます。

 しかし、私たちの内に悪しきものが満ちていれば、悪い考え・貪欲・よこしま・欺き・好色・ねたみ・そしり・高ぶり・愚かさ・殺人・姦淫・不品行・盗み・偽証・ののしり・・・・・ といったことが、心から出て来ます。

 まずは、口から、言葉となって、心から出て来ます。それらの言葉は、人を汚していきます。
 言葉だけにとどまらないで、行動にまでなっていってしまいます。
 口先の制御・舌の制御のテクニックの問題ではなく、私たちの心に満ちているものが何なのか ━━ ということが、最重要点です。

 私たちの心の内側にあるものは、何でしょうか。

 人間創造の時点であたえられたのが、「良心」です。
 そして、人間の始祖であるアダムとエバが、主なる神に、とんでもない罪を犯してしまい、それ以来、私たちの心のうちに住みついている(内住している)のが、「罪(原罪)」です。
 この内住の罪が、良心をも汚してしまい、心を支配してしまっています。

 そのような心から、言葉となって出て来るのですから、舌を制御することは出来ませんし、人を汚していくことになってしまいます。

 使徒パウロは、絶叫していますよ。
「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれが、この死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか!」
 しかし、引き続いて、次のようにも語っていますよ。
「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。」

 私たちが、主イエス・キリストを、「神であり、救い主である」と信じ・受け入れた者は、「聖霊のバプテスマ(洗礼)」を受けて、それ以来、全能・全愛の「聖霊なる神」が、信じる私たちに内住してくださるようになったのです!

 ということは、信じる私たちの心の内にあるものは、良心・原罪に加えて、全能の神・聖霊が内住してくださっているのです。
 原罪の力は強力であるといっても、全能の聖霊に勝るものではありえません。

 私たちが心がけるべきことは、言葉で失敗しないように・・・・・ ということではありませんよ。
 私たちが心がけるべきことは、 「いつも、聖霊に満たされていなさい!」 ━━ ということです。

 そうすれば、私たちの心から、愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制に満ちあふれた言葉が、出て来るようになりますよ。
 そして、それらの、いつも親切で、塩味のきいた言葉が、人々の徳を養うのに役立ち、聞く人に恵みを与えていくような、祝福されたものになっていくのです。

「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて、心から神に向かって歌いなさい。
 あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。」  (コロサイ人への手紙 3:16−17)

( 大阪海遊館にて by yasu )
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