2014年03月30日

必読 【 大同美香さんからの 伝言 】 ( 2 )

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 6年生になって、中学校は、どうするか? という話になった時、高槻市立養護学校は、
中学部までしかなくて、知的障害者が通う学校で、私は身体障害者ということもあり、
大阪府立茨木養護学校を、紹介してもらいました。
 見学に行って、両親は、いっぺんに気に入ってしまったけど、私は、それまでの人達と、
はなればなれになるのがイヤで、すんなり、決められませんでした。
 でも、最終的には、茨木養護学校に決めました。

 そして、この6年生から、中学生になる春休みに、私の容姿は火事に因るものだと、初めて知りました。 母は火事に遭った、3月27日の、夕方を選んで、生後20日迄の、写真が数枚あるのですが、その写真が貼ってある、アルバムを取り出し、「みーちゃんも生まれた時は、手も鼻もちゃんと有った。」と、言って、写真を見せてくれました。此れが私?と信じられませんでした。
 私は生まれた時から、こーゆー顔をしていたのだと思っていました。

 唯、妹は写真が沢山有るのに、何故、私には1枚も無いんだろう?と不信を抱いていた程度でした。なんせ、生まれつきだと思っていたから、疑うこともありませんでした。周りの人も、誰1人、教えてくれる人は居ませんでした。
 母は、皆に自分の口から言いたいからと口止めをしていて、何時言おうかとずっと悩んでいたそうです。ショックだったけど、全てを知った時も今も、恨む気持ちはありません。態としたわけではなくて、偶然起こったことで、仕方がないことだと思っています。

 中学生になって、茨木養護学校で、私の担任をしてくれた、加藤先生に出会いました。
 少し年をとった先生で、経験があり、中学部に入っても、訪問教育だった私を、スクールバスで毎日通う、通学籍に変えてしまいました。
 小学校5年生の時、毎週水曜日と、行事があった日は、先生の自家用車で、迎えに来てもらって、学校へ行き、6年生で、週に2回スクールバスで、通学出来るようにはなっていたけど、加藤先生は、訪問教育で私の家に来た時、1に説得・2に説得といったように、ゆっくり時間をかけて、先生や友達が優しいこと、学校は行事もあって、楽しいこと等を、話してくれました。
 そして先生の不思議な力で、いつの間にか、毎日学校へ行けるようになっていました。

 通学が当たり前になると、何故、毎日行けなかったのか、自分でも不思議な気持ちでした。もしかしたら、訪問教育だと、1人の先生としか会えないけど、学校に行けば、沢山の先生や、友達に会えるから、楽しくなっていったんだと思います。

 しかし、外に出るようになって、嬉しい反面、悲しいことも多くなりました。
 見ての通り、この顔なので、多分、皆さんも初めて見た時は、驚かれたと思います。
 外に出ると、ジロジロ見られるし、目が合った瞬間は見てくれるけど、次の瞬間、視線を反らせる人は、まだマシで、ほとんどの人は逃げてしまいます。
 子供は正直で、「何アレ〜?」 と御丁寧に、大きな声で言ってくれたり、気の弱い子は、泣き出してしまいます。
 そんな反応に、傷付くことを恐れてか、両親は、私が外に出ることを、喜んではくれませんでした。

 ここで、両親が、私をどれだけ、世間に出したくなかったのか、中学2年生の時、書いた作文を読んでみたいと思います。

  私の言いたいこと
 私は、家の周りに何があるか、知りませんでした。
 お父さんとお母さんが、私を、外に出してくれないからです.
 今でもお母さんが、毎日行くスーパーにまだ、行った事がありません。
 日曜日 皆は、ジャスコに行くけど、私はいつも、一人で留守番です。
 いつも今頃何しているかな? キット楽しいだろなァと、思いながら待っています。
 「私も行きたい。」 と言っても、いつもおこったように、アカンと言われます。
 いつかはOK! と言ってくれるだろうと思いながら、何度も言います。

 家にお客さんが来た時 「こっち来たら駄目」 と言われ、その上、戸を閉められます。
 その度に私は、悲しくなります。どうして会わせてくないのかと、聞いても、何も言ってくれません。
 おばあちゃんの家に行く時も、お金を払う所が近くなると、そこらへんにある、私を隠せる物で隠します。
 ほうじでおばあちゃんの家へ行った時、私は、皆の所に行けなくて、部屋にとじこめられます。トイレにも行けなくて、オマルでした事もあります。

 私はいつも、仲間ハズレです。怖い人がいるから行ったらアカンと言われて、本気にしました。でも今そんな怖い人なんているわけない! 私を他の人に見られないようにする、いいわけだとわかりました。
 今は、私を隠そうとする、お父さんとお母さんだけど、いつか色んな所へ、つれて行ってくれる日が、来る事を、信じています。


 あまりの凄さに、先生も驚き、 「 文集にして生徒が家に持って帰り、父兄が読むことになりますが、載せてもいいですか ? 」 と、母に問い合わせが、あったそうです。
 母は 「事実ですから仕方ないです。」 と返事をしたそうですが、私が書いたせいで、両親のイメージを、かなり悪くしたのは、いうまでもありません。

 ( 琵琶湖の花火 )
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