2014年04月04日

必読 【 大同美香さんからの 伝言 】 ( 3 )

 ( 夕陽の海 )
夕陽の海.jpg

 両親は、学校の行事の、校外学習 ・ 宿泊学習 ・ 修学旅行などは、仕方なく、参加することを許してくれました。
 でも、家族だけで、外出することなど、ありませんでした。
 そんな両親でしたが、茨木養護学校で、同級生だった、富沢ゆかりちゃんの家族と出会って、少しずつ変わっていってくれました。
 富沢家と、母の仕事の関係で、知り合った、宮原のおっちゃんの協力を得て、家族同志の付き合いが始まり、色んな所に、連れて行ってくれました。

 中学2年から、高等部卒業するまでの、5年の間に、近畿周辺で、日帰りできる、距離と、限られていたけど、それまで、何処へも連れて行ってくれなかった分を、取り戻すかのように、色んな所に出かけ、一緒に連れて歩いてくれることで、世間の目にも慣れ、家族だけでも、出かけられるようになりました。

 初めて家族だけで、レストランに行ったのは、中学3年生の時、初めて家族だけで、旅行に行ったのは、高校2年生でした。
 もし、富沢家や宮原のおっちゃんと、出会っていなかったら、私の両親は、世間の目を気にして、家族で出かけることなんて、なかっただろうし、今は、ゆかりちゃんの家族と、宮原のおっちゃんに感謝しています。

 それから、中学2年生の、宿泊学習から帰った後、楽しかった時間が過ぎて、淋しくなり、心の中に、ポッカリと、穴が開いたようになりました。そして、あんな楽しいことは、死んだらもう2度とない、夜中に、心臓が止まって、死んでしまったら、どうしょうと思うようになり、
「死にたくない。」 と、毎日泣いていました。

 そんな時、家庭訪問で、親しくなり、交換日記までしてくれた、妹の担任の先生に、相談したら、
「ヒマやから考えるんや。 絵でも習ったらどうや。 」 とアドバイスをしてくれました。
 そして加藤先生に言って、 浜地先生 という、絵の先生を、紹介してもらいました。
 この浜地先生と、出会った事で、後に私は、個展という、夢を実現することが出来ました。

 絵は日記帳の終わりに、ちょこっと落書き程度、描いてたぐらいで、特に描くのが好き、というわけでもなかったけど、浜地先生が、先生と生徒というより、お友達みたいな感じで接して下さり、習い始めた頃から、上手だと褒めてもらうのが、嬉しくて、また、絵が描けた時の、満足感も手伝って、絵画教室に行くのが、楽しくなり、いつの間にか、「死にたくない病」 は忘れていました。

 高校も、茨木養護学校の、高等部に進みました。
 高等部の担任の先生は、今までと違って、若くて、当時は、独身の土倉先生でした。
 でも私が、高校2年生の秋に、結婚され、瓜生先生になりました。
 先生の披露宴に、少しだけ、出席させてもらいましたが、感動して、泣いてしまいました。
 高校3年生で、妊娠され、体調が良くなくて、途中で、講師の先生に代わりました。
 瓜生先生は、私と年齢が近いせいもあり、優しい、お姉さんみたいな感じでした。

 高校3年生で、安藤先生に出会いました。安藤先生も、凄く優しい先生で、今までに、あんな優しく、話しかけてくれる先生とは、出会ったことがありませんでした。
 3年生ということもあって、進路の方で、大変、お世話になりました。
 作業所や、大学の見学に連れて行ってもらった結果、試験で、大学に入れる学力もなく、茨木養護学校と交流があり、学校の近くにある追手門大学の聴講を、2年間、受けてきました。

 ( お世話になった 小倉先生 )
小倉先生.jpg
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: