2013年08月10日

人は、だれでも、永遠に生きる !

@ [聖書のことば]を見てみましょう。
 ・「人間には、一度死ぬことと、死後にさばきを受けることが定まっている。」
                      (新約聖書 ヘブル9:27)
 ・「御子(イエス・キリスト)を信じる者は、さばかれない。」 (ヨハネ3:18)
 ・「御子を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、
  死からいのちに移っている。」  (ヨハネ5:24)
 ※ 御子を信じる者は、キリストがあなたの代わりに十字架上で、神のさばきを受けてくださったので、死後のさばきを受けることはありませんよ。

A 死で終わりではない。
 ※ キリスト教だけではなく、あらゆる宗教が、死ですべてが終わりだとは言っていませんよ。
 ※ 自殺した人も、かつて名誉を重んじて切腹した者も、それで終止符を打ったつもりかもしれませんが、それで、終わりではないのです。

B すべての人は、死んだ後も、永遠に生きる。

C 永遠のいのちの中で生きるのか。
  永遠の死・さばきの中で生きるのか。  ━━ どちらかである。

D 天国で、永遠に生きるのか。
  天国でない所で、永遠に生きるのか。  ━━ どちらかである。

E[聖書のことば]  「神に会う備えをせよ。」 (旧約聖書 アモス4:12)
  審判者・さばき主(ぬし)としての神と会うのか。
  天国に招き入れてくださる神と会うのか。

 ● あなたは、主なる神と会う備えが、出来ていますか?

( 高山右近の最期の時 by 柳 柊二 )
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posted by ukon3 at 22:09| Comment(0) | 聖書 シリーズ

2013年07月15日

クリスチャンは 「がんばらない」

● 私の辞書には、「がんばる」の語はない。というか正確には、いろんな時に、あまりに安易に使われていて、美しい日本語の品位をおとしめているので、使わないことにしたのだ。 「がんばります」「がんばってください」「がんばらなくっちゃ」等々。 本人も周りも、何か挨拶代わりに使っているようで、「アッ、又使っている。安易すぎる!」と思ってしまう。同じ内容のことを、「がんばる」以外の言い方で表現しようとする知恵がほしい。美しい日本語のためにも。

 聖書にも、「がんばる」の語はない。「がんばる」というのは、この世界のことばである。天地万物の創造主である神を信じていないわけだから、結果を出そうとすれば、自らを叱咤激励して「がんばる」しかないのである。今も、十分がんばっていても、もっともっと「がんばる」のである。自分の力や知恵でやっていくのだから、「がんばる」のである。「がんばる」しかないのである。

 だけど、クリスチャンは違う。クリスチャンは「がんばらない」 自分の力や知恵では、「がんばらない」
 クリスチャンは、「主イエス・キリストを救い主」として受け入れ・信じた時、聖霊(なる神)のバプテスマ(洗礼)を受けて、全能のキリストの霊・聖霊が、私に内住(ないじゅう)してくださるようになり、いつも・どこでも共にいてくださって、私を教え・私を導き・私に力や知恵を与え・私と共に働いてくださる。全能の神さまが、いつも一緒! 

 私一人ががんばって、いろんなことをやっていくのではなく、私のような者を用いて、主なる神が共に働いてくださる。ですから、結果はすべて、私の栄誉・栄光にするべきものではなく、神に栄光をお返ししていくのですよ。

(20歳の洗礼式 1962.5.20 芥川上流で)
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posted by ukon3 at 20:53| Comment(0) | 聖書 シリーズ